桜も散り、青葉が生い茂るようになったこの時期。
一日の気温差が激しいせいか、体調を崩す人間が増え、巷では風邪が流行っていた。
そしてここにも一人、その流行の波に乗ってしまった人物がいた。
「……38度2分…。やっぱり風邪だな」
サラは体温計の目盛を読み、ベッドで苦しそうに横になっているシェルを一瞥した。
ゲホ、と咳をして、シェルは体を傾ける。
「…これじゃ、今日は仕事、できないわね……」
「むしろされるほうが迷惑だ。とにかく、これから最低3日は絶対安静にしてろよ」
水で冷やしたタオルを額に乗せ、有無を言わせぬ力強さを含めて言う。
仕事用に使われている事務所の隣にあるこの部屋は彼女の私室で、資料などが散らばっている事務所とは違い、きれいに整頓されている。
サラは調合し終わった薬を種類別にして掌大の容器に封入していく。
アマチュアとはいえ、さすがは元医師といったところだろうか。一連の動作は流れるように素早く、手慣れているのが一目でわかる。
シェルは虚ろな瞳でそれを眺めていた。
「はい。こっちの小さいやつに入ってるのが咳止めの薬ね。こっちの青いほうには、くしゃみ・鼻水・鼻づまりを抑える抗生物質。赤いこれは解熱剤だから熱が高いときだけ飲めよ。他のは毎食後必ずだ」
「…ん、」
それぞれの容器を見せて説明したサラに、シェルは弱々しい返事をした。
赤く上気する顔は本当に辛そうで、鬼の攪乱ってのはこういうことかな、とサラは思ってみる。
普段こき使われているせいか、間違ってもここで同情するということはないらしい。
「さて。俺一人じゃ活動できないし、”アルフィルク”は少しの間休業ってことでいいだろ?」
「ええ。でも、その前に一つ…依頼が残ってるわ…」
「は?依頼?」
「あんたが来る直前に、一件入ったのよ…」
「へぇ。依頼内容は?」
「‥知らないわ。私も、まだ見てないから…」
「ふぅん。わかった、その依頼は俺が片付けとく。だからお前はここでおとなしく寝てろ」
きっぱりと言い付けて、サラは隣の事務所に入った。
窓際にあるデスクの上のパソコンはまだ起動したままで、その画面には『You've got mail』と出ている。
サラはカチ、とマウスをクリックしてメールを開いた。
依頼人はよく知る友人。
久しく目にしたその名に自然と顔が綻ぶ。
だが、それも束の間。
本文を見た瞬間、表情が怪訝そうに歪んだ。
「………なんだよこれ…」
小さく呟かれた一言には、驚きではなく呆れに似たものが含まれていた。
***
俺は思う。
彼女の行動は時々本当に唐突であると。
まあ更にいうとしたら、それに理解不能という言葉が付け加えられることもあるのだが。
俺は至極不可解なメールを読み、少々思い悩んだ後、素直に彼女の、いや彼らの家まで訪れた。
手には土産の入った大きな袋を持っている。中身は勿論食べ物だ。
俺は家の出入口である扉の前で立ち止まった。
目の前の扉は一見普通と変わらぬ横開きの扉だが、何故か「ただいま扉改装中」と大きく書かれた紙が貼られている。
そういえば以前来たとき、この扉は鏡開きだった筈だ。
これも気まぐれで悪戯好きな彼女のアイディアなのだろうか。
そんなことを考えつつ、ピンポーンと、門を潜った先にある家のチャイムを鳴らした。
中から「はーい」という声が聞こえたような気がする。
俺は呆、と扉の前で誰かが出てくるのを待った。
だが、しばらく経っても住人は出てこない。
いつまでも待っているのは俺の性に合わない。
というわけで、勝手に侵入することにする。
ガラリ、と扉を左手に開けた。
と思った瞬間、何故か、本当に何故か扉は閉められた。
「…………」
俺が何かしたのだろうか…。
いや、何もしていないはず。
なのに閉められた扉。
不思議と、少しもの悲しい気持ちになった。
ひゅるるー、と虚しい風が吹いた……と思ったら、今度は内側から扉が開けられた。
「サラ!開けたと思ったらいきなり閉まるからすっげーびっくりしたよ!」
「いや俺も驚いた…」
いつもと変わらぬ調子で言う彼女に、多少茫然として言葉を返した。
傍から見たらミニコントな今の出来事は、一旦頭の隅に置き去りにしよう。
「あ、セナ。これ土産」
「マジ!?ありがとー!なんかすごい大きいね」
「ああ、ほとんどの種類のスナック菓子詰めたからな」
「へぇ―。うれし―!俺ポテチ大好きだから!」
無論、セナの好みを知っているからこその選択だ。
(まあさすがにどのポテチが好きかまではわからなかったので、あらゆる種類の物を手当り次第買ってきたのだが)
俺はセナが抱き着いてくるのを無抵抗で受けた。
勢い余ってゾル家の試しの門を壊しかけただけあり、手加減無しの抱き着き攻撃は結構痛い。
その後しばらく経ってどうにか熱い抱擁から解放されたとき、ポテチの袋がしっかりとセナの手に握られていたのは言うまでもない。
To be continued...
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シェルが風邪ひいてるのは作者の影響です(笑)
Written by Haruki Kurimiya.